北海道で科学を考える、leafs

科学について、学び、伝え、見せる。北海道を拠点に活動する、学生科学コミュニケーションユニット、leafsのブログです。

「leafsって何なの?」って最近よくきかれる話。

久しぶりのブログになりました、大澤です。

最近は多くの場所からお誘いいただき、様々な人とコラボさせていただいております。ありがたい限りです……!

 

最近、「leafsってなんで二人でやってるの?」という疑問を頂きましたので、ちょっとその話を。

結成は?

結成はたぶん二年前

大澤が口町を誘って結成しました。

理由は特にないんですよね……一年生の時に同じセミナーに出席していて、

「あ、なんかやりたいって言ったら一緒にやってくれそうだな」

と思ったくらいで(笑)

「僕にないスキルを持ってる人だな」

とも思いました。絵を描いたりね。

実際活動してみると、結構面白いです。絶妙に話がかみ合っていて、絶妙に考えが違う。全く同じじゃないけど似てるから、活動がしやすいし、話してて面白いです。

なぜ二人でやってるの?

なんでサークルじゃなくてユニットの形をとっているのか。

メンバーを集めたりするのがめんどくさいからです。それに、メンバー増えたらミーティングとかも気を使うし。新陳代謝のある組織でなく、僕ら二人のペースで、やりたいときやって、やりたくないときはやらない、って形で続けたいね、っていつも話しています。

忙しい時はやらない。やりたいときにはやる。

それが楽だし、楽しいです。

来年以降の活動は?

上記の理由により、来年以降の活動は未定ですが、やめたりはしないと思います。

ただ、二人ともまだ進路も決まっていないので、、口町氏、院試頑張ろうね!(笑)

どんな形でも、細く長く続けていきたいなと、個人的には思っています。社会人になってからもつづけられたら、楽しそうだなぁと。

 

 

 

そんな感じの、緩く活動する二人です。今後ともぜひぜひ、いろんなところにお誘いいただけたら嬉しいです!

厳しい自然とサイエンス

こんにちは、くちまちです。

 

一昨日は雨、昨日は風、

今日は曇りと思いきや晴天!

札幌に引っ越してきた時にも思いましたが、

北海道、(人類が)試される大地やん…!

と唇を噛みしめております…。

 

以下、それに関して思い出したことを書きましたので、

よろしければお読みください。▽

 

科学への反抗

高校から大学はじめにかけて

科学とか物理学を否定している時期がありまして、

その頃考えていたことを思い出すと

 

「人間ごときがこんな自然の挙動をわかった気になるなんて」

「科学技術は結局人間の都合のいいように自然を破壊するじゃないか。

 許せない。というかもう人類としての自分が許せない」

 

とか、もう結構いろいろと渦巻いていたわけです…。

(今思うと何様やねんと思えるところもあります…)

 

しかし、札幌で生活するうちに

科学を否定してどうすんねん、

と思うようになってきました。

その理由は2つあります。

 

ひとつは、

「科学者も人それぞれなんだな」と思えたこと。

もうひとつは、

札幌の自然が厳しかったことです(※実話)

 

研究者も人間でした

前者については、

物理学科に入って実際に研究をする先生方と

直接コミュニケーションをとれるように

なったことが影響しています。

 

講義を聴いたり、ゼミで話したりする中で、

先生一人ひとりもっている価値観が違うことに

気付かされました。

 

「科学者も人それぞれ」と知ったのです。

自然の挙動をわかった気になっているか、

というのはその人によることなのです。

科学全体に言えることではありませんでした。

 

生き抜くための科学

次に、札幌の自然。

いやいやこれ…本当です!

こんなに天気が変わりやすい、

コントロールの効かないところにいたら、

どうにかして生き抜かねばという気持ちになります。

 

そのためにはなぜこんな天気になっているのかを

説明したくもなります。

もし説明できれば、それを使って

明日の天気、いや、一時間後の天気を

なるべく正確に把握できるかもしれません。

 

こんな予測もつかない世界の中で、

人間が生きていく術として

科学は必要だったんだ。

私は科学に生かされていたんだ。

と思えてしまったのです、そのとき泣

 

そうはいっても反抗心は持ち続ける

科学者も人間で、

全員が同じ価値観をもっているわけではない。

生き抜くために科学は必要である。

だから、科学をただ否定してどうすんねん…

…ふむ、今のところはこんなところか…。

これからも科学を学びながら、

科学について考えていきたいと思います。

 

ちなみにはじめのところで出てきた疑問、

「人間ごときがこんな自然の挙動を…」

「科学技術は結局…」

これについて、まだまだ長い答えがあるのですが、

それはまた今度。

 

それではみなさま、良い週末を!

 

 

「役に立つか」は良い問いか②

こんにちは、くちまちです。

 

自然科学や科目としての理科・数学は、

「役に立つのか」と言われることが

しばしばあります。

しかし「理科は役に立つか」という問いは

そもそも良い問いなのでしょうか?

 

自然科学を専攻していると、

「四則演算ができれば生きていける」

三角関数を知っていて何になる」

というメッセージを受け取ることがあります。

 

四則演算だけを知っているのであれば、

四則演算しかしらない世界を生きるだけです。

三角関数を知らなければ、

三角関数をしらない世界を生きるだけです。

 

知っているから役立てることができるのであり、

知識や道具そのものによって

役に立つかどうかが

決まっているわけではありません。

 

よって、「役に立つか」という問いへの答えは

「まず、理科や数学そのものには

 役に立つ・立たないという性質はない。

 知っている人は役立てることができる。

 そうでない人は役立てることができない。」

となります。

 

とはいっても、世の中で生活するには

衣食住を満たせれば良いので、

確かに四則演算がわかれば

三角関数など要らないかもしれません。

 

しかしそれは役立てる必要がない、という

状況の説明にはなっていますが、

理科や数学が役に立たないという

ことにはなりません。

 

使い方次第なのです。

 

なので、

数学や理科の勉強をするときには

「役に立つのか」ではなく

「自分はそれを役立てるのか」

と問うてみてはいかがでしょうか。

 

研究室のデスクから、

くちまちでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「役に立つか」は良い問いか

こんにちは、くちまちです。

今日の札幌は曇り空。

気温もそこそこなので、

お出かけにはちょうどいいかもしれません。

 

さて、今日の話題は「役に立つのか」。

耳タコなテーマかもしれないですが、

ちょっとだけお付き合いください。笑

 

自然科学や科目としての理科・数学は、

「役に立つのか」と言われることが

しばしばあります。

 

これを少しだけ

考えてみたいと思います。

 

科学でもそうなのですが、

問題を解決して何かを得るには

よい問いを立てることが重要です。

よい問いとは、回答可能な問いのこと。

 

例えば、

「水素原子の中にある電子は

 どんなふうに存在しているのか?」

という問いには答えられませんが、

「水素原子の中にある電子はどの場所に

 どのくらいの確率で存在するのか?」

という問いには答えることができます。

 

「理科は役に立つか」は良い問いなのか?

次回更新をお楽しみに。

(コメントもお待ちしております!)

 

くちまち

 

leafsくちまちです

こんにちは!くちまちです。

いつもご覧頂きありがとうございます。

今日は自己紹介をしていきます。

(そういえばしていなかった!すみません!)

 

口町 和香 (くちまち わか)と申します。

北海道大学 理学部物理学科の4年生です。

この春から統計物理学研究室に配属され、

いまは確率や統計の勉強をしています。

自然界でパターンや構造はどうして存在できるのか、

そしてどのように保たれるのかに興味があります。

 

出身は日本の機どころ、群馬県桐生市です。

絹織物の生産で栄えた街で、

古くは「西の西陣、東の桐生」と呼ばれていたそうです。

今も職人さんがいたり織物関連のお店があったりします。

浅草から特急で一本で行けますので、ぜひ!笑

Kiryu Walker – 桐生観光協会公式サイト

 

織物をつくる縦糸横糸の一本一本には

色こそあれど模様がありません。

しかし、それらが集まると

美しい模様が見えるようになります。

もし糸に模様があっても、

織物ではそれとは異なった

模様をつくることができます。

 

織物は糸からできているのに、

糸とは違う性質をもつことができる。

不思議だなあと思います。

 

統計力学は、

糸の性質から織物の性質を説明するように、

要素の性質から全体の性質を説明する、

ミクロの世界からマクロの世界への

橋渡しをする学問です。

 

そのあたりを、実験教室でも

少しずつお話出来たらと思います。

 

あ、趣味はおえかきです!

Facebookで4コマをかいているので、

よろしければチェックしてみてください。

口町和香 | Facebook

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

追記:上野→浅草、京→西のまちがいです!

すみません!(こういうところもあります…)

 

「感情」で説明しちゃったりすること②

leafs大澤です。

 

前回、「物体が『落ちたがっている』という擬人化された説明はOK??」という疑問を載せた記事を書かせていただきました。今日はその続きを書きたいと思います。

 

僕は高校生の時、故郷八丈島で「光るキノコ観光ガイド」をやっていました。

※光るキノコについては以下、八丈ビジターセンターのHP参照

  ↓↓↓↓

島の生きもの

 

その際によく出る質問が、

「光るキノコって何のために光ってるんですか???」

というもの。

確かに。気になりますよね。なんでなんだろ。

今はどうか知りませんが、僕が高校生の時には

「まだわかりません!」

が正しい答えでした。

 

でも、それだけだと面白くないので、仮説をいくつか付け加えるんですね。

「毒がある/ないことを周りにアピールしているのかも!」

「光によって来る虫を集めて、胞子を運んでもらいたいのかも!」

「観光客の皆さんに、たくさんよってきてもらうため??」

等々・・・(笑)

 

今になって思うのは、これらの仮説について

「そうか、光るキノコは毒があることを知ってもらいたいのか!」

という理解をしたとして、それはよい理解だといえるのでしょうか・・・?

 

論文を訳さないといけないので、今日はここまで。

またつらつらと気が向いたときに書いていきたいです。

 

p.s.

先日の投稿をシェアしてコメントをくださった方、ありがとうございました!

・「理系への壁の緩和」って、やっぱりポイントですよね。正確性との天秤は、話す場所によって変わるのかもしれませんね。

・自分はフィールドよりの理学部というのもあり、おっしゃられているような「ITコミュニケーター」という考え方を、恥ずかしながらあまり意識したことはありませんでした。確かに、技術の話のほうが実用的であるがゆえに生じる課題なんかもありそうですね。ともすれば「使えればいいんでしょ?」って思われちゃいそう…自分もす押し思ってるかも汗汗

 

 

大澤

 

 

「感情」で説明しちゃったりすること

leafs大澤です。

 

今月末から教育実習です。楽しみ半面不安もあり。科目が専門と少し違う(専門は地学で実習で担当するのは物理)なのもあり、結構緊張しています。授業案も徐々に作りつつある感じです。

 

そんなこんなで最近は、「現象の説明」について考えることが多くなってきました。どんな風に説明すべきだろうか。科学についての分かり易い説明なんて、そもそもあるのかしら??

 

よくやっちゃうのが、「擬人法」。まるでその物体や物質が意識を持っているかのような説明。ピンときやすくなるけど、それって本当……?って思う。

例えば、「物体が落ちたがっている」とか、「原子がつながりたがっている」とか。

 

こういう説明って、すべきでないと思いますか?皆さんの意見を伺いたいです。

「こういう理由があるときにはしていいと思う」とか、「こういうフォローをするならばしていいと思う」とか、そういう意見歓迎しています(笑)

 

大澤